2010年08月05日

『フローズンタイム』

その場で起きている真実をそのまま写し取るわけではない。しかし、その場の一面を、一瞬を、切り取ることができるのが、写真だ。

この映画は、写真家が監督しただけあって、その一瞬を切り取った美というものが究極に協調された形。
ポスターも女性の裸だし、性的な部分が強い映画かと思っていたけれど、むしろ芸術としての女性の美しさを追求した映画という印象に終わった。
主人公のベンが序盤ですることは犯罪だし、それこそ妄想の世界。しかし、後半にはもうその行為の印象はあまり残っておらず、むしろ、仏頂面をしていたシャロンがどんどん可愛くなっていく、その印象の方が強い。

画廊の主に絵を見せ、「まだある?」と聞かれて、「何百枚も」と答えるベン。
映画には描かれていないけれど(同じシーンばかりになるだろうから)、随分たくさん、凍った時間の中でシャロンを描いたのだろう。

美しいもの、愛するものをずっと見つめていたいという想いが形になった作品とでも言えば良いだろうか。
割と面白く観ることが出来た。
posted by TO-SAN at 02:27| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

読了

『沼地のある森を抜けて』梨木香歩
『紙魚家崩壊』北村薫

他の本は結局読みきれず、一度図書館に返却。
代わりに、池澤夏樹『カデナ』を借りてきた。
読了した2冊の感想はそのうちに。

映画は『フローズンタイム』を観る予定。
posted by TO-SAN at 02:15| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

『シャーロックホームズ』

2009年版の映画。
これまでのホームズ像を覆すキャラクター設定、とのことだけれど、私の印象としては、評判ほどにはその設定は外れていない。
ドイルの原作による設定と違うところといえば、せいぜい外見くらいではないだろうか。原作のホームズは長身、細面で痩せ型の体型だけれど、今作でホームズを演じたロバート・ダウニー・Jrは中肉中背で顔も大きい。
頭脳明晰は当然のこと、ホームズといえば「バリツ」と言われる格闘技を修得していたり、ボクシングの腕前も相当なもので、荒事も得意だったから、今作のようにアクションがあっても違和感はない。
さらに、薬をやっていたり、部屋で発砲したりといっためちゃくちゃな性格はそのままだ。
実際にホームズとワトソンがいたとしたら、きっとワトソンはこれくらいの被害は被っているだろうな、と想像できるくらいのホームズ像だった。

ストーリー自体はオリジナルということだけれど、少し物足りない印象。
犯人ブラックウッドは賢いように見えるけれど、その犯行は結構穴だらけ。というよりも、野望が大事過ぎて、そりゃ無理だ、と言いたくなるような状況ばかりだったのが興ざめ。
黒幕の存在を示唆したのは良いけれど、そうなるとブラックウッドはただの実行犯ということになって、それはそれでホームズのカウンターパートとして役不足。
アイリーン・アドラーのレイチェル・マクアダムスはとても美人でかつ妖しく、名演だと思う。でも、そもそものキャラクター描写が不完全燃焼。

映画としてはアクションもウリだったそうだけれど、洋画のアクションでよくあるスローと加速の映像があまり好きではないので、その点は残念だった。アクションで言えば、私の好みは圧倒的にカンフーものだから。

ただ、映画として面白くなかったかと言えばそんなことはなくて、謎解きの快感もそれなりに味わえるし、劇場で観ればもう少しドキドキするんだろうな、と想像できるくらいの出来ではある。
続編に期待。
posted by TO-SAN at 01:56| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

わかっちゃった

何故私の文章が味気なくて、面白くなくて、下手なのか。
私には「うたごころ」というものがないのだ。
日常を排除しようと意識しているからか、天気の話題もなければ、風景を描写する表現もない。
たとえ天気の話をしたとしても、

ここ数日、「猛暑日」という言葉が踊るほどに、暑い日が続いていた。刺すように強烈な太陽の光線を浴び続けた大地を、やさしく癒すかのように、青かった空はおだやかな灰色に覆われ、恵みの水をもたらした。

という叙情的な表現もなかなかできない。今こうしてやってみても、やはりとってつけたような文章になってしまっているように思う。

わかったところで、これから練習して身につけていこう。
posted by TO-SAN at 23:39| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文章力を身につけるには

このブログも、ここ数ヶ月の更新頻度は悪くないと思っている。
それは、実家に来て以来、本を読む時間、映画を観る時間が出来たからということが大きいのだけれど、もう一つ、文章力を身につけたいという理由で意識的にこまめに書くようにしているのだ。

しかし、過去の文章を振り返って読んでみると、自らの文章の拙さに絶望すら覚えてしまう。
確かに、いつも心に浮かんでいる言葉とは少し違う文体を意識してはいるし、思ったことを書き殴ったまま、練りもしない駄文ではあるのだけれど、それでももう少し読みやすい文章が書けても良いのではないか。
結局のところ、言葉を操る才能に欠けていると思えてくる。
しかし、それでも書き続けていれば、もう少し、またもう少しと文章がうまくなっていくのではないかと、どこかで期待している。

本の感想、映画の感想となると、あらすじを語るだけなのもバカバカしいけれど、ストーリーに一切触れないのも気持ちが悪い。だから、どうしても中途半端な文章になってしまうのかもしれない。
posted by TO-SAN at 19:06| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書き物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

『扉は閉ざされたまま』

石持浅海のミステリーを映画化。
原作は、2006年版の本格ミステリ大賞で最終候補作に残り、「このミステリーがすごい!」と「本格ミステリベスト10」では共に2位にランクインするなど、とても評価の高い小説。

原作は未読。
物語は、犯人が殺人を犯すところから始まる。刑事コロンボや古畑任三郎のような構成だ。倒叙ものというらしい。

緊張感のある展開ではあるのだけれど、とにかく不自然さが目立って落ち着かない。
映画だからしかたない部分もあるのはわかる。けれど、中村俊介演じる犯人の挙動不審な様子は、誰でも気がつきそうなものだし、黒木メイサの探偵役も場に溶け込んでいない雰囲気で、どこか違和感がある。
犯人をかばう行動をとったのも、理解に苦しむ。

しかし、死体の発見を遅らせたいという犯人の理由がわかった時、それまでのどうしようもない違和感が吹き飛ぶほどの「なるほど!!」が得られて、その点は非常に良かった。
この展開は、やはりミステリのどんでん返しだ。
その一点において、面白いと言っても良い作品だったと思う。
posted by TO-SAN at 20:32| 北海道 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オキナワの魅力

意識して沖縄音楽を聴き始めたのは、いつの頃からだっただろうか。
と書き出して、自分の沖縄音楽初体験を思い出した。
それは、中学3年か高校1年の頃だ。中高一貫の男子校では、中だるみと言われる時期。私に沖縄音楽を聴かせたのは、一つ上の先輩だった。
その先輩に借りたCDの中の一枚に、ネーネーズのベスト盤があった。

「てーげー」という曲を、今もカラオケで歌うことがある。
「てーげー」とは、ウチナーグチでも有名な「なんくるないさ」と同じ感覚の言葉。一説によると「Take It Easy」がなまってできた言葉らしい。
ネーネーズの、その曲に心を動かされたのが、沖縄の音楽にのめり込むきっかけとなったのだった。
ネーネーズをきっかけにしてCDをいくつか聴いていたその時期、ちょうどNHKでは沖縄を舞台にした連続テレビ小説『ちゅらさん』が放映されていた。さらに、高校の修学旅行は、沖縄だったし、近所の商店街では沖縄フェアーが開催されていた。そのフェアの間に、劇場で『ナビィの恋』を観て、登川誠仁の格好良さにまた感動した。

タイミングというのは大切なもので、一つ一つが重なっていき、いつのまにか、私は沖縄音楽の虜になっていた。

太陽と海の匂いがして、不思議に心が安らいで、日常の中にありながら祈りすら感じさせる曲の数々。
北国の生まれだからなのかもしれないけれど、本当に憧れの対象だ。

これから、我如古より子さんのCDを聴いてみるつもり。
posted by TO-SAN at 03:20| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『1950年のバックトス』北村薫

北村薫は、本当に細やかな、ごく小さな心の動きを描くのが巧みな作家だ。
もちろん、作家であるのだからそれは当然だし、そうでなければ小説は書けないのだけれど、この人の作品はすこし別格に感じる。

今回読んだのは短編集。
小説を読んで感じる恐怖は、つまり想像力の産物だ。こわいものを描写したところで、感じる恐怖はたかが知れている。
綾辻行人の『殺人鬼』シリーズなどが良い例で、これでもかというくらいグロテスクで醜悪な描写のオンパレードながら、そこまで怖いという印象はない。
その手の作品よりも、本作の「百物語」、「包丁」のような作品の方がよほど怖い。
「昔町」にも恐怖を感じたのは、私がものごとに執着しない人間だからかも知れない。
映画『歩いても歩いても』でも感じたけれど、執着心というのは、度が過ぎると汚く醜いものになってしまう。それが嫌で、出来る限りものごとに執着しないようにしようと生きている。

話が逸れた。

それらの怖い話でこの本は始まる。そして「万華鏡」や「百合子姫・怪奇毒吐き女」「真夜中のダッフルコート」あたりでは恐怖とあたたかさを同居させ、やがて「ほたてステーキと鰻」や、表題作「1950年のバックトス」あたりでは、春の日差しのように暖かい雰囲気を伝える作品になってくる。

「ほたてステーキと鰻」の牧子は、『月の砂漠をさばさばと』のお母さんであり、『ひとがた流し』の牧子である。親友を亡くしたこと、その寂しさや自分自身の生き方に自問しつつ、それでも前を向いて生きていく姿。
人間は、過去を振り返りはしても、後退はしない。そして、未来を夢想はしても、ひとっ飛びに越えていけはしない。現在を生きるしかない。
牧子の、悩み、それでも生きていく姿に、そのことがはっきりとあらわれている。
表題作に登場する節子さんも、そうやって生きてきた人なのだろうと想像できる。
最後まで読んで、やはり北村薫のあたたかさがしっかりと残る、そんな短編集だ。
posted by TO-SAN at 03:03| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

『歩いても歩いても』

特に印象深かったのは、樹木希林が、長男が命を賭して救った青年について語った場面。
長男を失ったやり場のない怒りと絶望のはけ口に、長男が救った青年を毎年呼び出して苦しむ姿を見る、という事実。
醜悪という一言に尽きる。
私の感覚ではあり得ないのだけれど、母親とはああしたものなのだろうか。
長男が救った命、そして長男がそこで命を落とした意味ということについて、どこまでも納得できない両親。
「主は与え、主はとられる」という聖書の言葉に生きる私にとって、この感覚は本当に理解不能。

「普通」という言葉がキーワードのように繰り返される。
「普通」の日本の家庭を描いたということなのかもしれないが、どこかに気持ち悪さが残るのは、やはり両親が過去にこだわり過ぎているせいだと思う。
それはもう呪縛といっても良い。

その中でまだすっきりと観ることができるのは、主人公の再婚相手と、その連れ子である男の子の様子が健全だからだ。
小学校高学年とおぼしき男の子の成長度合いは非常によくわかるし、母親の再婚相手との関係も、変にベタベタするのでもなく、かといって拒絶するでもない距離感から、間に立つ母親のおかげでだんだんと打ち解けていく様子が良い。
この二人の関係を観るためだけの映画といっても良いかも知れない。
他の登場人物達が気持ち悪いからこそ、この爽やかさが際だっていた。
posted by TO-SAN at 01:30| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月23日

『ホタル』

戦後65年。当時戦争に直面していた年齢の方々も随分少なくなってきたけれど、彼らの中に、戦争はどう残っているのだろうか。

昭和が終わった、今から20年余り前。私の記憶にはほとんど残っていないこの日のことは、昭和という時代の大部分を生きていた人々にとって、大きな出来事であったようだ。そしてそれは、知覧の特攻隊に関わった人々にとっても同じことだった。

反戦だとか、特攻隊員の崇高な死だとか、そんなことが言いたい映画ではない。
ただ、特攻隊員には一人一人の人生があって、それに関わっていた人達がいたのだ、というだけのストーリー。
それだけなのに、心に迫ってくる。

飛んでいった人間が日本人であれ朝鮮人であれ、一人の人間が、自ら命を落としに飛んでいくことに変わりはない。
見送る側にもすさまじい覚悟があったのだろうし、飛んでいく側には残していく家族や愛する人がいた。
現場にいた方々ほど、その痛みをわかっている人間はいない。

特攻隊員達の描写は、すさまじいほど清々しい。これが実際のものかどうかはともかく、死を覚悟した人達の清々しさは本当によく描かれている。

語る口を持たない者も、生き残ったことを恥ずかしく考える者も、送り出したことに負い目を感じている者も、それぞれの中に、今も残っているのが戦争なのだろう。

若い役者さんたちがどうにも棒読みで気になったのだけれど、田中裕子さん、高倉健さんといったベテラン勢の、絞り出すような演技は素晴らしかった。
観て良かった。
posted by TO-SAN at 01:27| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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